115 清徳寺(赤門寺) 【寺院】(梅里1丁目4番23号)
当寺は、日登山(にっとうざん)と号する日蓮宗の寺院で、本尊は十界曼荼羅本尊(じっかいまんだら)です。
寺伝によると、寛永6年(1629年)、麻布北日ヶ久保町(現港区六本木六丁目)に開山最上院日任(さいじょういんにちにん)、開基陽証院日乗(ようしょういんにちじょう)により創建されました。寺地は年貢地で769坪、元、麻布本村の名主又左衛門の所有地を赤坂の住人久保屋三右衛門が買取り、寄進したものといわれています。
最上院日任は、池上本門寺に属し、触頭(ふれがしら)として同寺と配下寺院の連絡役などを務めた承教寺(じょうきょうじ)の住僧でした。このことから、当寺は本門寺の末寺として開創されたと考えられています。その後、一時碑文谷法華寺(現目黒区円融寺)の末寺となり、元禄6年(1693年)には小湊誕生寺(千葉県安房郡)末寺として、身延山久遠寺の指揮下に入りました。
元禄8年(1695年)二月八日、四谷伝馬町からの大火は当寺にも及び、その後も宝暦6年(1756年)、同10年(1760年)、弘化2年(1845年)と度々の火災は伽藍(がらん)と寺宝を焼き尽くしました。住職は、その度毎に再興につとめましたが、弘化の火災では伽藍の整備には至らず、大正2年(1913年)、寺院の発展を図って、現在地に移転してきました。
しかし、ここでも関東大震災、太平洋戦争と二度にわたる被災により伽藍に損傷を受け、昭和40年(1965年)以降、寺内を整備し、現在に至っています。
また当寺は、当初朱塗りの山門があったことから赤門寺とも呼ばれていました。
文化財としては、承応2年(1653年)銘の一塔両尊像、寛文年間(1661~73年)造立の日蓮上人坐像、享保17年(1732年)造立の日蓮大菩薩五輪塔などがあります。
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