93 大宮前新田 【その他】(宮前5丁目5番27号)

 

ページ番号1008017  更新日 令和6年8月27日 印刷 

大宮前新田は、寛文(1661年~1673年)初年頃に開発された新田村で、ほぼ現在の宮前地域にあたります。当地は幕府御用の茅の採取地として「千町野」「札野」と呼ばれていた原野で、関村(現・練馬区関町)の井口八郎右衛門、河原九郎兵衛ら4名が中心となって開発したといわれています。
宮前三丁目の慈宏寺には、村の開発や慈宏寺の開創に尽力した彼らの供養塔〔大宮前「当村開起慈光寺大檀那(だんな)」供養塔(杉並区指定有形文化財)〕があります。
新田は、村の中央を東西に走る五日市街道の南北に間口20間(約36メートル)、奥行250間(約450メートル)の短冊型の土地を一戸分としてほぼ均等に割付けられ、道路に面する位置に屋敷、その裏に耕地が配置され、路村的な村落景観をなしました。この短冊型の長地割は、現在も五日市街道沿いにその姿を残しています。
明治22年(1889年)、大宮前新田も新しい地方制度のもとで、周辺5か村と合併して高井戸村となりました。これにより当地は、高井戸村大字大宮前新田となり、ついで高井戸町大字(あざ)大宮前と改称、昭和44年(1969年)には住居表示で宮前と省略され、大宮前の名称は消滅しました。
村名の大宮前は、大宮八幡宮の前面の村ということに由来するともいわれ、また一説には鎮守春日神社の前の意味で名付けられたとも伝えられています。
なお、当地には春日神社を中心に、大宮前里神楽(杉並区指定無形民俗文化財)、大宮前囃子(ばやし)(杉並区登録無形民俗文化財)などの郷土芸能が、保存会の人々によって継承されています。

天保8年「大宮前新田絵図」井口正一家文書の画像
天保8年「大宮前新田絵図」井口正一家文書
(杉並区指定有形文化財、区立郷土博物館蔵)

 

このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局生涯学習推進課文化財係
〒166-8570 東京都杉並区阿佐谷南1丁目15番1号
電話:03-3312-2111(代表) ファクス:03-5307-0693