19 妙正寺 【寺院】(清水3丁目5番10号)

 

ページ番号1007940  更新日 令和6年6月28日 印刷 

法光山妙正寺は、十界諸尊(じっかいしょそん)を本尊とする日蓮宗の寺院です。
約700年前の文和元年(1352年)、中山法華経寺(千葉県)の第3世日祐(にちゆう)上人が、妙正寺池のほとりに堂を建て、法華経守護の天照大神・八幡大神・春日大神などの三十番神を勧請したのが開創と伝わり、中興開山の日明が正保3年(1646年)に社殿を再建してから、広く信仰されるようになったといわれています。
慶安2年(1649年)、3代将軍徳川家光が鷹狩の折、神前に武運長久を祈願し、葵(あおい)の紋幕と朱印地五石を寄進してからは「御朱印寺」として一層有名になりました。現在でも、三十番神堂に葵の紋幕を掲げて一般に公開する法会(ほうえ)が行われています。
本堂は天保元年(1830年)に古文書類とともに焼失しましたが、天保3年(1832年)に再建され、昭和6年(1931年)に改築して今日に至っています。また、三十番神堂は安政3年(1856年)の大暴風で倒壊し、安政6年(1859年)に再建されました。なお、現在の鐘楼は、昭和38年(1963年)に建立されたものです。
当寺には、大黒天・鬼子母神(きしもじん)・弁財天などの諸像も祀(まつ)られており、鬼子母神像は、「生毛(しょうもう)鬼子母神」と称され、安産に霊験ありとして、江戸城大奥にありましたが、天保12年(1841年)より始まった天保改革での大奥粛清(おおおくしゅくせい)に際し、当寺に移されたもので、それ以来この地域の人々に「安産の神」として親しまれてきたといわれます。弁財天像は、妙正寺池の弁天島に祀られていたものです。
また当寺には、鎌倉期から室町期の板碑15基もあり、これらは妙正寺池周辺の古い村落のことがうかがえる貴重な文化財です。

 

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