114 西照寺 【寺院】(高円寺南2丁目29番3号)
当寺は普明山(ふみょうざん)と号する曹洞宗の寺院で、本尊は木造釈迦如来坐像です。寺伝によれば、日比谷村(現・千代田区内幸町)の漁夫により海中から拾いあげられた阿弥陀如来像が安置された御堂を、天正2年(1574年)に、開山の明堂文龍大和尚が一寺としたのが開創とされています。
その後、徳川家康の江戸入府による江戸城大造営のため、寺域は武家屋敷地となり、慶長17年(1612年)に芝金杉(現・港区芝一丁目)へ移転しました。しかし、寛永20年(1643年)に類焼に遭い、寺地は御用地となり、拝領した代替地は狭くて本堂の再建も不可能なため、寛文5年(1665年)に芝白金村(現・港区白金二丁目)の地を買収して移転し、寺を再興しました。
この再興に力を尽くしたのが、中興開基でもある旗本の岡田豊前守善政で、以来当寺は代々岡田家の菩提寺となっています。この後、当寺は観音堂・鐘楼堂等の堂宇(建物)も整え、江戸西方三十三観音の第二十六番札所ともなり、門前には町屋が並び大いに賑わったと伝えられます。
明治元年(1868年)、官軍の宿舎となりましたが、失火により伽藍(がらん)を全焼しました。その後、明治10年(1877年)頃には復興を果たしています。再建された堂舎には、島崎藤村が明治学院在学当時に寄宿していたといわれています。
永く御府内にあった当寺も、東京発展のなかで寺域が区画整理の対象となり、明治43年(1910年)に現在の地へ移転しました。
江戸後期の持仏堂の形をよく残した道了堂は区登録有形文化財です。他にも、承応2年(1653年)銘の「とろけ地蔵」、南町奉行山村良旺や書家佐瀬得所の墓、心越禅師(しんえつぜんじ)による書幅などの文化財が所蔵されています。
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