27 永福寺 【寺院】(永福1丁目25番2号)

 

ページ番号1007879  更新日 令和6年7月8日 印刷 

万歳(ばんぜい)山永福寺は曹洞(そうとう)宗の寺院で、永福寺村の村名も当寺名に由来します。
本尊は木造十一面観音立像で、脇侍の不動・毘沙門(びしゃもん)両像とともに、鎌倉期の仏師快慶(かいけい)の手になるものと伝えられています。
寺伝によれば、開創は大永2年(1522年)で、高井戸堂之下にあったとされ、開山は秀天慶実(しゅうてんけいじつ)と伝えられます。永福寺の名は、永禄2年(1669年)に北条氏康が作成した「小田原衆所領役帳」にも見え、開創は寺伝の伝える時期に近い頃のことであったと思われます。小田原落城後の天正18年(1590年)、北条氏の家臣であった安藤式部丞は、当寺の住職〔3世建正存朔(こんしょうそんさく)大和尚〕を頼ってこの地に帰農して永福寺の檀家となり、村の開発につとめたといわれます。
中興開基は幕府御馬預役の加藤兵部丞重勝で、下高井戸村に領地を拝領し、当寺を菩提寺としました。
当寺は、文禄2年(1593年)、元文3年(1738年)、昭和20年(1945年)と三度の災害にあいましたが、天正16年(1588年)の「検地書出」をはじめ、20数点の文書が無事保存されており、永福寺村を知る貴重な資料となっています。
また、その他の文化財も多数保存されており、境内には「子授け地蔵」の名で村人に信仰された正徳5年(1715年)年銘の地蔵菩薩石像等があります。寺の西門脇には、正保3年(1646年)銘五輪庚申供養塔(杉並区指定有形文化財)、天和元年(1681年)銘庚申塔、元禄4年(1691年)銘地蔵石像が安置されています。

 

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