54 久我山稲荷神社 【神社】(久我山3丁目37番14号)

 

ページ番号1007914  更新日 令和6年7月31日 印刷 

久我山稲荷神社は、「新編武蔵風土記稿」の多摩郡久ヶ山村の条に稲荷社として掲載され、「除地二段五畝十五歩堂屋舗ニアリ 小社ニテ上屋九尺ニ二間 拝殿二間ニ三間 南向 前ニ鳥居ヲ立ツ 石階鳥居ノ外ニ三級内ニ二十級アリ村ノ鎮守 例祭十一月ニテ日定ラズ 光明寺ノ持」と記されています。創建の由来については明らかではありませんが、古来から久我山村の鎮守で、祭神は保食命(うけものみこと)です。
明治40年(1907年)4月に字(あざ)北原にあった天祖神社(祭神大日●貴命(おおひるめむちのみこと))が合祀され、昭和16年(1941年)2月に村社となりました。境内末社には八雲神社・天満天神社があります。
例祭日は10月1日ですが、本社では、7月24日に夏祭りが行われ、「湯の花神楽」が奉納されます。湯の花神楽は、大釜に熱湯を沸かし、小笹を浸して打ち振りながら行われます。杉並区内では極めて珍しい行事で、その昔、この地に疫病が流行した際、村人が神楽を奉納し、祈願したところ、疫病が止んだという故事によるものです。
境内には明治32年(1899年)に氏子が奉納した、金玉均(きんぎょくきん)(日本に亡命した朝鮮の李王朝末の政治家)の筆跡を刻んだ「人心同」の碑があります。金玉均は、久我山に生まれて幼くして小笠原にわたり、砂糖王と呼ばれた飯田作右衛門から、「遠く離れている父に朝夕仕えることもできず、心で思うばかりである。せめて父の住むところに自分の不孝をわびる石碑を建ててくれ」と頼まれ、その心根に強く打たれてこの筆跡を残しました。
なお、境内には元禄16年(1703年)造立の庚申塔があります。かつて村人がこの庚申様に砧(きぬた)の槌を納めて養蚕の無事を祈願したと言い伝えられています。
また、昭和57年(1982年)に新築された「額堂付神楽殿」には多数の絵馬が保存されています。

 

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